転換期

自分の人生の中で価値観が変わることが結構短いスパンで起こっているというのを最近になって気づいて

それが丁度今日だったとおもうの

今まで興味あったものがぱたっと全く無くなる感覚が、自分の声の大きさすらぱたっと小さくなってしまったとか、笑いのツボが変わったりとか、そういう変化が

 

でも実際これまでに少しずつかわっていってたとはおもう

これをはじめたのとかも今までの自分から変わっているからだし

美容院もよやくしちゃったし。

 

服の趣味だって変わるから、タンスの中なんてぱんぱんでこまっちゃう、

 

人間関係もそう、自分のなかで仲良くしたいと思う相手すら変わっちゃうから

リセット癖みたいなのが出来ちゃってる

ほんとに良くないことで、人との縁っていうのは人生において大切なことっていうのは重々承知なんだけど、

それでも、一緒にいて辛くなったり、寂しくなったり、いらいらしちゃう人とは居たくないって思うからそういう時だけ感謝してる

 

こういうことがある意味自衛に繋がってて、こういうことは誰にでもできることでは無いと今年になってしった。

嫌われる勇気、自分はたまたま持ち合わせていたけど、あたりまえだけど持っていない人もいる。

自分を犠牲にしすぎちゃう人は頑張りすぎちゃってるよ。

嫌われることと自分を大切にしないことはイコールじゃないとおもうの

 

真面目な人が割を食いすぎる世の中なんだよきっとね

かなしい、すごく悲しい、

そんな人たちみんなで集まろう、辛いね、偉いね、さすがだねって泣きあおう。

 

 

 

 

 

 

帰り道にさいてたさくらをみて、泣きそうになる友達と、それにつられる自分

窓を開けたまま寝る夜は久しぶりで、遠くから聞こえるパトカーの音と、あの人からの返信を期待して。

もしかりに過去に戻れるなら、あんなになる前に戻りたいと心の底から思うけれど、

 

1年がたつのなんてあっという間で

大人になんてなりたくないな。まだこのままでいたいよ、1日1日はながいくせに、1年になるとありえないくらいはやくなる。

 

全然知らない人の日常をみて、なんだか、あつたかくて、しあわせになる。

このしあわせを分かち合える人は周りにいなくて、ぞんざいに扱われそうな気がして、1人でなにもかんがえられなくなる。

 

左に新しく開けたピアスは当たり前のようにいたいけど、右にもとからあるピアスもまだ痛くて、

寝るときにこまっちゃう。

 

学年2位になれて、すごいうれしい。けど

みんなそれをあたりまえだから、みたいな意識だから恋人にすら褒めてもらえなくて、寂しくなる。

努力しての結果だけど、かりにもし当たり前のような事だとしても、どうして人を褒めようとしないのだろう?

朝起きるのがはやいこととか、お弁当をつくれることとか、髪の毛が長いこととか、運動ができることとか、人の話をきけることとか、手のひらが大きいこととか、ご飯を食べれることとか、人の悪口を言わないこととか、好きなことをすることとか、ちゃんと使った椅子を中にしまうこととか、電車で鞄を小さく持つとか、そういうことを褒める人が少ないのはどうして?

大変な事じゃん、素敵なことじゃん、すごいと思うから褒めるんじゃん。

毎日働いていること、学校に行くことはもちろんだけど、毎日夜にねるとか、人のために自分を犠牲にしちゃう人とかを世界はもっとほめるべきなんだよ。

 

自分だって褒められたいからこう思うんだけど、自分以外の褒められたい人が頑張ってる人が、褒めてくれる人にかこまれててほしい。自分のそばにいてほしい。そうしたら、たくさんほめてあげれるから。自身があたりまえだとおもって意識してないことでも、素敵なことをしてるって気づいて欲しいから。

そりゃ自分にとって悪い人褒めたくない人はいるから、そんな人はほめなくていいとおもうの。

しんどくなっちゃうからね。それは勝手に心が見返りを求めてるからなのかもしれないけど。せっかくほめてあげたいのなら、好きな人にした方がいいにきまってるから、